ケツに哲学を抱えている
肛門は本当に存在するのかどうか不安になった。
肛門とは、消化管の出(場合によっては入)口のことだ。つまり尻の穴。ナニカが出てきたり、ナニカが入ったりする場所。
そんな肛門は本当に存在するのか?
ここで少し別の話をする。
有名な話だが、「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」問題についてちょっと考えてみたい。
ドーナツとは、みんな大好きミスドで一番美味しいシュガーレイズド大明神に代表される、例のわっか状の菓子だ異論は認めない。
その真ん中の「穴」の部分だけを残して食べる、それが可能なのか。
そも穴とは、「無い」状態が「在る」から穴というのであって、実体としては存在しない。
「普通に食べればば概念的に穴が残ってる。はいQ.E.D」とかドヤ顔で言われても、納得できない人は多いと思う。実際私も納得できなくて気づけば全裸になっていた。
ドーナツが存在しない部分がドーナツの穴なのであり、ドーナツの穴だけを残してドーナツを食べるというのはドーナツが存在しない部分だけを残してドーナツを食べるということと同義なちょっと待って自分でも何言いたいのかわからんくなってきた。
つまり、ドーナツの穴というのは「無いが在る」ようなものだ。
だからドーナツの穴だけを残してドーナツを食べるのは不可能である、もしくは大変に難しいからやりたくない、と。
そしてドーナツに限らず、穴とは得てして「無いが在る」ようなものである。
ここで話を戻そう。ならば肛門は?
先に述べたように、肛門だって一種の「穴」だ。
じゃあ肛門って
ほとんど無いようなものだよな。
肛門とは「穴」である。「穴」とは在るには在るが無いようなものである。ゆえに肛門はほとんど無いよなものである。三段論法だ。
私達の尻は、そんな不安定なものに支えられているのかもしれない。
私達の尻は、そんな未知なる哲学の可能性を秘めて色々と絞り出してるのかもしれない。
ありがとう、肛門。
肛門のおかげで、私はまた一歩真理に近づけた気がする。
肛門。
……ねえ肛門。
思えば、今まで肛門のこと、あまりに蔑ろにしすぎていたかもしれない。
いつも酷使しててごめんね。
これからは大切にしてあげるから。
だからさ肛門……
肛門も、私のこと、一番に考えていてね……////
肛門のように身を引き締めて生きたい。