人生とはパンツのようなものだ
人生とはパンツのようなものだ。
普段はその真価がかくされているが、強い風が吹きつけ、逆境に立たされたとき、本当の力があらわになるからだ。
このようなことを言われれば、パンツという一見低俗なものが、あたかも非常に徳の高い聖遺物のように思えてきたことだろう。
パンツ。それは、我が身の内に眠る秘められし力を象徴するもの。凡夫には理解しがたい非凡なる才の体現者。聖☆おにいさんの仏陀が「人生とはパンツのようなものだ」とひとたび口にすれば、発光まちがいなしだろう。パンツなのに。
ここで、パンツが聖遺物へと華麗なる転身を遂げた秘訣は、この構文にある。この「人生とは○○のようなものだ」という言い回しは、どんな物事も徳の高い響きにすることができるのだ。
人生とは空のようなものだ。
時には暗雲が立ち込めることもあるが、歩みを止めない限り、可能性はどこまでも広がっているからだ。
人生とは納豆のようなものだ。
嫌う者もいれば好く者もいる。それでも粘り強く諦めずにいれば、いつか白銀の輝くステージに上ることができるからだ。
人生とは排水溝につまった髪の毛のようなものだ。
全盛期にどれだけの栄華を誇っていたとしても、一旦落ちぶれてしまえば、世の流れを妨げる障害へと成り果てるからだ。
いかがだろうか。空が、納豆が、排水溝につまった髪の毛が、この世の真理に肉薄する究極物に思えてこないだろうか。思えなかったあなたはサイコパスの可能性があります。嘘です。
今回は、この「人生とは○○のようなものだ」という言い回しで徳を高められることを応用した新しいゲームを発案したい。
なぞかけという遊びがある。一見なんの関係もない二つのものを示し、その共通点を一瞬で答えるというものだ。
※なぞかけの例
Tさん「チーズとかけてなんと解く」
Dさん「ホタルと解きます」
Tさん「そのこころは」
Dさん「どちらも『はっこう』しているでしょう」
Tさん「ちょっと何言ってるかわかんないんですけども」
Dさん「なんでわかんねえんだよ」
このなぞかけのような形で、「人生とは○○のようなものだ」とお題を示し、その理由を一瞬で答えるという遊びができるのではないだろうか。
例を挙げておこう。
A「人生とは虎のようなものだ。なぜか」
B「嘘偽りのない、真っ白なものは非常に稀だからだ」
A「そして人が虎になることもあるからだ」
李徴「私だ」
袁惨「お前だったのか」
李徴「臆病な自尊心と」
袁惨「尊大な羞恥心の」
「「遊び」」
伸びたパンツのように緩く生きたい。